モニタリングを通じて見えた事

コロナで世界中大変な事になっています。ミャンマーでは7月28日の段階で感染者数343名・死亡者数6名と他の国に比べるとよく抑えられている方だと思います。また人々の日常もコロナ前の状況に戻りつつありますね。サステナブリッジの運営するパアン技術訓練学校は現在のところまだ休校中です。一日でも早く再開できれば良いのですが。

コロナが世界中に広がる前の今年2月、パアン技術訓練学校の卒業生達の状況を確認するためモニタリングを行いました。就職だけでなく起業や家業などに習得した技術を活用している卒業生もおり、今後の活動を続けるうえで新たな気付きを得る事ができました。今回は卒業生が卒業後どのような形で習得技術を活用しているのか、それが自身の生活にどう影響しているのかいくつかご紹介します。

 

パアン技術訓練学校(HTTS)

 

パアン技術訓練学校は2014年に開校し7年目を迎えます。これまで890名弱の卒業生を輩出し、卒業した8割以上が就職を果たしており、多くは学んだ技術に関連した職業に従事しています(卒業後半年に行うモニタリング調査より)。

またHTTSで使用するシラバス・カリキュラムはミャンマー政府の国境省教育訓練局が他技術訓練学校の標準カリキュラムとして指定しているなど、HTTSの訓練はミャンマー政府内においても高い信頼を得ています。そのため就職先はパアン周辺だけではなくヤンゴンやマンダレーなどの都市部の会社にも及んでおり、その中には日系の会社も含まれます。自動車整備科を卒業したある生徒を例に挙げると、ヤンゴンにある日系、それもメーカー系列の整備工場に就職し、日本で行われた技術大会で準優勝を果たしています。


卒業生と会ってみて


HTTSでは卒業後半年の間隔で定量的なモニタリング調査を行っています。そこでは学んだ技術に関連した仕事に従事しているかを確認するのが主な目的です。

今回のモニタリングでは直接卒業生に会いに行き、卒業生が学んだ技術に対しどのように向き合っているかインタビューを通じて深堀りしました。



Maung Than Tun Aungさん

第4期 建設科 卒業

中央がMaung Than Tun Aungさん


建設科を卒業し数年経過しているMaung Than Tun Aungさんはフリーランスとして建設現場の現場監督として働いています。会いに行ったこの日は現場で16名の作業員を束ねていました。

親せきが建設会社を経営している関係でこの会社から現場監督として仕事の依頼がくるようです。他の会社からの依頼もあり、その場合は一般作業員として現場に行くこともあるとの事。現場監督の時は当然日給が高く、家族3人暮らしていくには十分な収入です。ただミャンマーの場合は雨季があるため建設工事がストップする場合もあります。その間収入が途絶えるため、雨季の時は内装工事の仕事をするなど工夫をしています。


Maung Aung Phyo Wa さん

第7期 自動車整備科 卒業


Maung Aung Phyo Wa さんは23歳にしてすでにバイク修理のお店を経営しています。HTTS参加する前からバイク整備の仕事についており19歳の時に両親からの援助でバイクショップを始めました。ただ彼の住む町では近年の経済発展により自動車が増えてきています。そこで彼はバイクだけではなく自動車の修理ニーズも今後確実に増えてくると考え、自動車整備の技術を習得するためにHTTSに参加しました。

3年後までには自分のお店で自動車修理ができるように規模を広げたいと思っているよう。ですが今のところまだ資金が足りていません。

それでもHTTSで学んだ技術を使いできる事から少しずつ修理を受け入れていきたいと意欲を見せてくれました。

自分のショップの前で。中央がMaung Aung Phyo Waさん。左は母親で右は従妹で従業員




Naw Ler Htaw Phawさん

第6期 電気科 卒業

右からNaw Ler Htaw Phawさん、祖母、母親


今回インタビューした卒業生で唯一の女性の卒業生でした。彼女はHTTS卒業後2年間仕事がなく村で過ごしていましたが、HTTSからアシスタントインストラクターの話があり、現在はHTTSにて勤務しています。
この日のインタビューは彼女の村で話しを聞きました。家の中にはテレビ、DVDプレーヤー、扇風機など多くの家電が目につきました。村に電気が来たのが1年ほど前だそうです。卒業後、就職は出来ていませんでしたが学んだ技術を使い、家や村人の家電を修理するなどしていたようです。辺境な場所では修理を外に頼むのはそれなりの支出となり家計に大きな負担です。そのため、この支出がかからない、または少なくてすむいうのは、収入を得る事と同等の効果があるかもしれません。さらに彼女は近所の家に対しても家電の修理を引き受けておりいくばくかの収入も得られています。2年間仕事がなく村にいた彼女ですが、HTTSで学んだ技術をこのような形で生計の向上に役立てていました。

彼女はHTTS卒業後、ヤンゴンなどの大都市に行く事もできたようですが都市部で働く事に対して不信を持っており、本人も行きたくなく、また家族も反対でした。ミャンマーではこのように思う家庭も多いため僻地の村でも収入や生計にHTTSで学ぶ技術がどのように役立つ事ができるか私たちとしても考えていく必要があると思いました。それぞれの職業を細分化する事で僻地や女性でもできる事はあるかもしれません。

彼女は将来、村の入口の大きな通りに家電を販売するショップを持ちたいと夢を語ってくれました。今は必要な資金を頑張って貯めています。



私たちにできる事


ヤンゴンやマンダレーなどの大きな都市では就職できるチャンスが沢山ありますが、郊外、特に農村地域だとそもそも会社が少なく就職そのものが難しいです。だからといって習得した技術が活用されていないかと言えばそんなことはなく、「普段は家業の農業を手伝いながら農閑期に建設作業員として出稼ぎに行く」、「家や村の電化製品の修理や屋内配線を行う事で支出が減った」など様々な形で役立っています。

私たちは卒業生の就職あっせんをこれまで同様に継続しますが、就職支援だけでなく、卒業生が卒業後も技術について講師に相談できる技術サポートや、マイクロファイナンスを活用して起業する際のお手伝い、また経営的なサポートなど、他にもできる事があるかもしれません。

今回のモニタリングではそういった可能性について気づかせてもらいました。

今後も技術支援を通じて民族・地域などの格差や違いを超えられる「橋」となれる活動を続けていこうと思います。